岩手県山田町と、島の坊伝説について

岩手県山田町は、三陸の太平洋に面した自治体である。

リアス式海岸による奥行きのある湾を形成しており、カキやホタテの養殖がさかんであるという。

平地には恵まれておらず、市の大半が山林に覆われていて、そのぶん山林資源を活用してのキノコが特産品になっている。

時代が味方していれば、林業でも栄えていたことだろう。

人口は1万4千人ほど。

いまどきは都市部をのぞいてどこも人口減少に悩まされているが、ここも例外ではない。

先の東日本大震災で大きな被害を受けた地域でもある。

島の坊伝説

だいたいどの地域でも、その土地にまつわる言い伝えがあるものだが、山田町には島の坊の伝説がある。

この地域にはたいへんな力持ちの悪僧がいたという。

人間に対する憎悪が強かったのは、見た目になにかあったのか、生い立ちになにかあったのか、そのあたりの事情はわからない。

いずれにせよ漁民を脅して食べ物を奪ったり、漁場にいたずらをしたりと、悪事を尽くした結果、土地の者の恨みをかい、復讐されることとなる。

あるとき、なんとか土地の者たちが島の坊を捕まえると、そのままスマキにして海に放り投げて殺してしまった。

それ以来、海が荒れるのである。

土地の者は島の坊の祟りを畏れた。

そこでこの祟りを鎮めるため、地元の大杉神社のあんば様(網場様)に島の坊の魂をまつった。

そうすると、あれほど時化ていた海が静まったという。

大杉神社は茨城県稲敷市阿波(あば)に総本宮があり、その地の名前からとられたあんば様が、水運、海運の神としてまつられている。

余談だが、似た物語が福井の東尋坊にもある。

その名前とおなじ、東尋坊という怪力坊主がいたのだが、ある説によると恋敵との恋のあやから、崖から突き落とされた。

べつの説によると、寺を乗っ取ろうとしていた僧侶に向けて、仏法をさとしたところ逆恨みされ、酒宴で酔わされたうえにスマキにして崖から海に放り込まれたというのである。

いずれにせよ東尋坊は怨霊となり、旧暦の4月5日には海が荒れるのだという。

太平洋側と日本海側の海岸沿いで、僧侶が殺されて怨霊になるという筋立てが共通している。

祟り神をまつる地域性

現代のように法治がなされていなかったころは、神仏によって自治をおこなうことが一般的だった。

その場合、土地の守り神は強いほうがよいし、無法であるほうがよい。

つまり、理不尽な荒神を、その土地の祭りによって鎮めているということになる。

こういった伝説は日本全国でごく当たり前のもので、たとえば八坂神社(祇園社)におけるスサノオ(牛頭天王)も荒ぶる神であり、疫病をまきちらす神だった。

この荒神を鎮めるために祇園祭がある。

どうしてこのような祭りが全国津々浦々で行われるのかというと、土地の者によって、理不尽で荒ぶる神を鎮めているということが、自治として重要だったからである。

よそ者には荒ぶる神を鎮めることはできない。

それどころかよそ者がおかしなことをすれば、荒ぶる神が怒り狂う。

そんなときは土地の者が団結してよそ者を追い出すのである。

荒ぶる神を鎮める祭りを行うことで、その土地の縄張りを主張しているという見方もできよう。

島の坊伝説においては、その土地の荒神となる存在を、その土地の者でこらしめ、そしてその土地の者によってまつったという話になっている点で、地域の結束の強さがうかがえる。

ところで、もうひとつ重要なのは、そもそも僧侶ということが、よそ者をあらわしている点だ。

僧侶は、在所の者ではないことも多い。

なかには代々土地に根差す僧侶もいたし、よそから来たといっても仏法の知見を修めて、その土地に深い教義と徳をもたらす僧侶もあったが、地域に住み着く僧侶の中には、社会に行き場がないやくざな破戒僧も少なくなかったのである。

そんな僧侶が地域で鼻つまみとなり、生きた祟り神と化して地域に災いをもたらす。

この悪僧を土地の者が退治しただけでなく、土地の守り神にまで転化させた、と考えると、この町の力強さを感じずにはいられない。

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