カナ入力のよいところ、わるいところを考えてみる

中学生のころにタイピングをおぼえた。

それ以来数十年、ローマ字入力でタイピングし続けてきたのだが、いまになってカナ入力を覚えようと取り組んでいる。

ローマ字はふつうに入力できるのだが、カナ入力になると、また中学のころの、タイピングを始めたころとおなじで、まったく打てなかった。

おなじキーボードをつかっているのに、入力スタイルが変わるとこうもできなくなるものかと、逆に新鮮な気持ちで楽しんでいる。

きょうは、カナ入力を始めた新鮮な気持ちの状態で、そのメリットとデメリットについて考えてみよう。

入力とはなんなのか

こんなことを意識したことがなかったのだが、テレビの字幕をみながら、カナ入力の配列を頭の中で追いかけてみた。

そうすると、明らかにたどたどしい。

おなじ字幕をローマ字入力の配列で追いかけてみると、スイスイ追いつくどころか、考えるより早く感覚で入力し終えているような感じである。

それでふと気づいた。

タイピングの速さは、ある程度のところまでは、頭の引き出しから文字の位置を引っ張り出してくるスピードなのだと。

位置をしっかり頭と手で記憶して、その通りに動くようになると、今度はパターンと神経伝達の問題になってくる。

つまり、最初は頭で動作を理解し、そこから日常の動作として違和感なく行えるよう、運動神経を練磨していく作業に移る。

この「頭から神経へ」結びつく順序には、境界線がない。

グラデーションによって白色がいつのまにか灰がかって真っ黒になるように、キーの配列を頭で引き出していく作業から、徐々に反射による神経の作業へ変化しているのである。

足が速い人は、なぜじぶんの足が速いのか、理屈では理解できないわけだが、おなじ動作をひたすら反復し、改善できるところを試行錯誤しながら、高みに近づいていく。

「あなたはどうしてそんなに速く走れるのか」

と問うて、じぶんの頭と神経が織りなす能力のグラデーションについて、言語で話せる人はほとんどいないのではないだろうか。

なぜかというと、最初に動作を構築していく作業も、神経の作業も、ふつうは言語ではなく感覚によって行われているからである。

いったんローマ字入力をマスターしたじぶんが、記憶喪失になったかのように戸惑っている。

そういうたどたどしさは、おそらく他言語をおぼえるときも似たようなところだとおもう。

カナ入力のよいところと問題点

カナ入力のよいところは、ローマ字のように「母音+子音」の2回の打鍵ではなく、1回ですむことだ。

おなじスピードで入力する場合、ローマ字入力と比べて倍とまではいかないだろうが、1.3倍くらいにはなるのではないだろうか。

というのも、ローマ字の場合、記号入力や数字入力が打ちやすいというメリットがあるので、単純にカナ入力が倍速になるとはいえない。

それに、ローマ字入力でも、「あいうえお」は打鍵が1回ですむし、カナ入力でも「ぁぃぅぇぉゃゅょっを 。、」あたりは打鍵が2回必要である。

しかし、たとえばこのブログのような書きものの場合、カナ入力はローマ字入力よりも打ちやすいのではないだろうか。

慣れてしまえば頭で考えた言葉のほとんどが一回の打鍵ですむのである。

事務的な数字と文字と記号を織り交ぜたような文書を書くとなるとローマ字入力に軍配が上がる気がするが、日本語中心の文章であればカナ入力は強いとおもう。

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