いまでは納豆に含まれるナットウキナーゼが血液中の血栓を溶かすのは常識になっているが、ほんの十年ほど前にネットで検索すると、
「ナットウキナーゼは分子が大きいため消化の過程で吸収されず、すなわち血栓を溶かす効果もない」
という医療人たちの主張が幅を利かせていた。
臨床ではなく、データ至上主義的に立ち回ったことが原因……などとしかつめらしいことをいうつもりはない。
すくなくとも「納豆を食べる」だけで血栓が溶けるという、ガセかどうかはちょっと確かめればすぐわかるレベルのことを、やっきになって否定していたことには、理由がある。
ようするに、病院は患者にきてもらってナンボなので、病気を減らすようなことはしたくないというところがホンネだろう。
薬価のいい血栓溶解薬と、納豆が肩を並べるなんてという不快感もあったかもしれない。
立場をとる医療人
ぼくはその当時にある血栓症で悩んでおり、納豆のうわさを知り、じぶんのカラダで納豆が軽微な血栓を溶かしていたことを確かめていたので、ネット上のそれらの意見には注意深く目を通していた。
医療人たちは徹底して納豆の血栓溶解効果をこきおろしていたし、いくら納豆を食べても血栓は溶けないというプロパガンダをまきちらしていたのである。
最近、ひさしぶりにネットでナットウキナーゼについての医療人の見解はどうなったのかみてみたら、論調が変わっていた。
「ナットウキナーゼは分子量が大きいから吸収されないということだったが、実際には一定の効果があったようだ」
だれだって、じぶんがウソに加担していたと書くのは抵抗があるし、この人もべつに過去の発言を謝るようなことはしていなかった。
太平洋戦争における国民総懺悔もそうだったが、かれひとりでウソをばらまいていたのではないのだし、責任は分散されていて、問いようもない。
ただ、ぼくも患者になりうるひとりとしていえるのは、医者は人間なので立場をとる。かならずしも人の病気を治すことを至上の命題にしているわけではない、ということである。
もうすこし具体的にいえば、医療人たちは現代医療という宗教の熱心な信者であり、人間の病理を現代医療の枠の中にピタリと当てはめることが仕事だ。
現代医療の規範に反することは、たとえ現代医療の側がまちがっていたとしても、認めることはない。
そういう頑なな性質であるがゆえに進歩するところも大きいのだが、同時にとんでもない誤謬を巻き起こすこともある。
卵とコレステロールの問題
卵はコレステロールが高いので一日一個に、といったことも、むかしは本気で医者が勧めていた。
あれは1930年代にロシアで、ウサギで卵を食べさせる実験をおこなったところ、血中コレステロールが増加したという実験がもとになっている。
ウサギは草食なのだから、動物性のたんぱく質をとれば悪影響が出るのは当然である、という考えに至らないまま、1980年代くらいまでは日本でも「卵は一日一個まで」が信じられていたのだ。
これは笑い話のようで、笑い話ではない。
現代の医療はナノテクノロジーに支えられながら、日進月歩の勢いで究められている。
しかし医療人ひとりひとりは、べつに人間としてアップグレードしているわけではなく、大昔から変わらぬ人間である。
医療テクノロジーが堅牢で精緻なものになればなるほど、医療人は人間としてのエラーが際立つようになり、患者はむしろ医者が生み出すエラーに悩まされるようになるのだ。
われわれは、この堅牢で精緻な医療と、多忙と過労と立場によってエラーを頻発する医療人とを区別して考えねばならない。
つまり、患者がおもう医療テクノロジーへの期待度に対して、医療人という人間がついていけてない面があるということである。
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