映画『生きる』と森鴎外、ゴンドラの唄の関係性について考える

先日、黒澤明の映画『生きる』について書いた。

『生きる』は非常に日本的な作品だが、ファウスト伝説が下地だったことで、世界的普遍性を帯びた作品になった、という内容である。

映画『生きる』とファウスト伝説について考える

さらに掘り下げて考えていくうちに、この作品は根本的なところで森鴎外の影響を強く受けているのだと気づいた。

森鴎外の緻密な作品

明治期を代表する知識人であった森鴎外だが、その著作は堅牢というほかない。

作品に仕掛けられたロジックやレトリックに、隙がないのである。

たとえば同時代の文豪である夏目漱石の場合は、筆に任せながらユーモアと知性をちりばめていくようなスタイルで、アドリブを感じる。

ところが鴎外の場合は、小説全体が計算されつくされている。

ユーモアさえ、そこにあるべき形で収められており、プロットは極めて緻密で、組子細工の芸術品をみるようである。

『ファウスト』もゴンドラの唄も森鴎外に関係

ところで『生きる』にはファウスト伝説と、ゴンドラの唄が重要なアイテムとして利用されているのだが、この作品はふたつとも鴎外が関係している。

ゲーテが戯曲として書いたファウストは、明治末ごろにかけて鴎外が翻訳している。

ゴンドラの唄は、もともと童話作家のアンデルセンが若き日に書いた旅行記を、鴎外が『即興詩人』として翻訳。

どちらも長編の翻訳である。

ゴンドラの唄の作詞を手掛けた吉井勇作は、『即興詩人』の中の一節から歌詞を創作したという。

ファウストについては前回話したから省略するとして、今回は映画『生きる』と、森鴎外、ゴンドラの唄を絡めて話してみようとおもう。

『即興詩人』よりゴンドラの唄の箇所を解説

まず、ゴンドラの唄の歌詞を以下に紹介する。

いのち短し 戀(こひ)せよ 少女(をとめ)
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血液(ちしほ)の冷えぬ間(ま)に
明日の月日のないものを

いのち短し 戀せよ 少女
いざ手を取りて彼の舟に
いざ燃ゆる頬を君が頬に
こゝには誰れも來ぬものを

いのち短し 戀せよ 少女
波にたゞよひ波の様に
君が柔手(やはて)を我が肩に
こゝには人目ないものを

いのち短し 戀せよ 少女
黒髪の色褪せぬ間に
心のほのほ消えぬ間に
今日はふたゝび來ぬものを

この歌詞を踏まえて、森鴎外の『即興詩人』で呼応する箇所を、以下に紹介する。

我が乘るところの此舟は、即ちヱネチアの舟にして、翼ある獅子の旗は早く我が頭上に翻れり。帆は風に厭きて、舟は忽ち外海に走り出で、我は艙板の上に坐して、藍碧なる波の起伏を眺め居たるに、傍に一少年の蹲れるありて、ヱネチアの俚謠を歌ふ。其歌は人生の短きと戀愛の幸あるとを言へり。こゝに大概を意譯せんか。其辭にいはく。朱の唇に觸れよ、誰か汝の明日猶在るを知らん。戀せよ、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に。白髮は死の花にして、その咲くや心の火は消え、血は氷とならんとす。來れ、彼輕舸の中に。二人はその蓋の下に隱れて、窓を塞ぎ戸を閉ぢ、人の來り覗ふことを許さゞらん。少女よ、人は二人の戀の幸を覗はざるべし。二人は波の上に漂ひ、波は相推し相就き、二人も亦相推し相就くこと其波の如くならん。戀せよ、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に。汝の幸を知るものは、唯だ不言の夜あるのみ、唯だ起伏の波あるのみ。老は至らんとす、氷と雪ともて汝の心汝の血を殺さん爲めに。少年は一節を唱ふごとに、其友の群を顧みて、互に相頷けり。友の群は劇場の舞群の如くこれに和せり。まことに此歌は其辭卑猥にして其意放縱なり。さるを我はこれを聞きて輓歌を聞く思ひをなせり。老は至らんとす。少壯の火は消えなんとす。

格調高い擬古文で書かれているのはよいのだが、いささか現代人には読みづらいので、以下じぶんなりに翻訳してみた。

わたしが乗ったのはベネチアの船だった。
ベネチアを象徴する有翼の獅子の旗が、頭上で忙しくひらめいている。

帆が風をはらみ、船はたちまち外海へ走り出す。
わたしは甲板の上に座って、起伏する紺緑の波を眺めていた。

そばで少年の集団のうちのひとりが、ひざまずいてベネチアで愛された歌を歌っている。
この歌は人生の短さと恋することの幸せをあらわしたものだが、おおまかに意訳してみよう。

 

朱の唇を重ねよ。あしたがまたくるとは限らないのだから。
恋せよ。汝の心が若く、汝の血が熱いうちに。
白髪は死の花。
咲けば心の火は消え、血は氷になっていく。

あの小舟の中に来たれ。
屋根に隠れて、窓をふさいで戸を閉じれば、だれの目にもつかないだろう。
乙女よ、だれもふたりの恋の幸せを邪魔することはない。
波の上に漂って、波が押し引きするようにふたりも愛し合う。

恋せよ、汝の心が若く、汝の血の熱いうちに。
汝の恋の幸せを知っているのは、言葉をもたぬこの夜と、波だけだ。
老いはすぐにやってくる。氷と雪とで汝の心と血を殺すために。

 

少年は一節を歌うたびに、仲間を振り返って、お互いにうなずき合っていた。
仲間たちは劇場の役者たちのように唱和している。

この歌の歌詞はまことに卑猥で、放埓で、無節操だが、わたしはむしろこの歌に挽歌を聞くような気持ちがした。
老いはすぐにやってくる。若さの灯火はすぐ消えるのだ。

このベネチアの歌(あるいはゴンドラの唄)は、若さを肯定する明るい歌だが、若さのピークを過ぎ、老い行く者にとってはまるで挽歌を聞くようだというのである。

この歌は奔放でまぶしいほどの若さを感じる陽の歌だが、そのぶん陰の気配も濃い。

もうあの時代には帰れないといううら寂しさを「挽歌」、つまり葬送の歌とまでいうのだから、悲嘆の度合いは相当なものである。

映画『生きる』においてのゴンドラの唄も、歌詞のもつ陽の雰囲気と、鴎外がいうところの挽歌としての陰の要素について、対比するように利用したようだ。

段階を経て解釈が変わるゴンドラの唄

映画の中盤で主人公の渡辺勘治は、遊び慣れた小説家の助けを得て、慣れない遊興に繰り出す。

胃がんでもう先がないと悟り、藁にもすがるおもいで遊興にふけろうとしたのだ。

そして若者たちがつどう社交場で、ピアニストにゴンドラの唄をリクエストする。

ピアニストが曲を弾くと、若者たちは奔放で自由な恋愛の歌だとおもっているのだが、渡辺は残された短い人生をおもって陰陰滅滅たる調子で歌いはじめた。

死にゆく渡辺にとって、ゴンドラの唄はまさに挽歌だったのであろう。

若者たちは渡辺の退廃的な歌声を聞いてあっけにとられてしまうのだが、無理もない。

目の前に死が迫ってきているという感覚は、いままさに恋を求める世代の若者たちには理解のしようがないはずだ。

ほかならぬ渡辺自身にとっても、胃がんだとわかるまでは、ゴンドラの唄はまぶしい若さを老境から眺める牧歌的な歌にすぎなかっただろう。

ゴンドラの唄は、この社交場のシーンと、そして最終盤、渡辺が公園のブランコに揺られながら歌うシーンでつかわれている。

遊興で生きる意味を見いだせなかった渡辺は、紆余曲折を経て、じぶんに与えられた役割(公園の建設)の実現に全身全霊を懸けるという人生の目標を見出した。

目標を達成し、渡辺は完成した公園のブランコに揺られながら息絶えるのだが、このときに歌ったゴンドラの唄は、挽歌は挽歌でもあきらかに意味がちがう。

渡辺にとって社交場で歌ったゴンドラの唄は、恋をする時期を過ぎ、死期を悟った老人が、ただ若さをうらやましがっていたものだった。

しかし最後に歌ったゴンドラの唄は、もうまさに命が潰えんとするこのとき、きょうのこの日がまた来るとは限らないのだから、一生懸命に生きようじゃないかという意味に転化している。

それでわれわれはどう生きるべきか

映画『生きる』は森鴎外の翻訳作品に着想を得てつくられているのだが、まるで鴎外の著作のように緻密に仕掛けが施された、堅牢な作品であった。

さて、老いること、死ぬことの絶望を乗り越え、生きる希望に転化して、渡辺は旅立ったのだが、その後の葬式のシーンにおけるやり取りは、「さあ、それでわれわれはどう生きるのだ」という挑戦状を突き付けられているかのようである。

しかし映画が出した結論は、渡辺の生きざまに心打たれ、じぶんたちもそうあろうと決意するも、翌日からはまた、なにも変わることができずに漫然と生きるというものだった。

命は短い。老いはすぐにやってくる。若さの灯火はすぐ消える。

そうと自覚したうえで、人生の局面に応じた生きがいを見いだすことは大事なのだが、わかっていても実践するのはなかなかむずかしく、よほどの必要性にかられない限り場当たり的に生きてしまうのが人間のサガなのかもしれない。

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