薪風呂と裏山がセットの暮らし
我が家では薪(および灯油)で風呂が沸かせるのだが、毎年の冬仕事のひとつは、もはやだれも手入れをしなくなった裏山の倒木を集めて、薪をつくることである。
薪風呂で節約できる光熱費はおよそ2万円ほど。
実際には2万円のためにやっているというよりは、裏山の整備のついでである。
2万円の節約がおおきく響く程度には貧乏ではあるのだが、人件費と労働量を考えると2万円で間に合う仕事ではない。
ともかく山というのは人間が立ち入って整備しないでいると、どんどん荒れてくるものなのだ。
倒木が道がふさぐこともあるし、竹林も放っておくと範囲が広がっていくし、間引きをせずにいると次第に剣山のようにびっしり生い茂って手に負えなくなる。
こういったことを冬の農閑期の間にすこしずつ片付けていく。
ぼくが管理しているのはほんとうは近隣の方の土地なのだが、空き家地主の所有地で、ぼくは地域の総意を受ける形で保全を代行している。
といっても、べつにやりたくてやっているわけでもない。
ここは人間の住む場所である
もし土地の所有者が山を積極的に管理してくれる、あるいは山に立ち入らないでくれというのであれば、喜んで御意に従う。
べつに薪が手に入らなくても生活に困るということはないのである。
山際で暮らす者として、果たすべき役割があるとおもって裏山の保全をしているが、それはべつに道徳心でやっているのでもなければ、薪やタケノコのためにやっているのでもない。
しいていえば、この地域は人間の暮らす場所であるということを示すためにやっているのである。
全国どこの山間部もそうだとおもうが、人手がいない。
しかしいかに人がいなくても、じぶんが暮らしている場所は人間の暮らす場所である。
山の動物に蹂躙させるわけにはいかない。
これは地域社会に暮らす者としての意地である。
薪の割り方の話だった
書き出しからずいぶんおかしな方向に話が進んでしまった。
きょうは薪の割り方について話をしたかったのだ。
ところでまず最初に、薪をどう集めるかということなのだが、ぼくは裏山の倒木を電動のこぎりで輪切りにしてから、薪割りをしている。
チェーンソーのほうがはかどるとおもうが、音のうるさいのが好きではないので、バッテリー式の電動のこぎりでのんびり作業をしている。
薪割りの道具
薪割りの道具にはいろんなものがある。
Amazonで調べればいくらでも出てくるが、いわゆる定番の、振り下ろして叩き割るタイプの斧。
傘立てのようなリングの中心に上向きの刃がついていて、そこに薪をセットして、上からハンマーで叩いて割るタイプのもの。
変わったところだと、先端にクサビがついた棒で、薪を叩き割るモノもある。
このあたりの手作業の道具に関しては、じぶんのニーズ次第でなにを選んでもいいとおもう。
油圧の薪割機は便利だが価格が高い。
肉体労働は劇的に軽減されるが、現場で作業をするときに気軽に持ち運びできるものでもない。
ではぼくはどうやって薪割りをしているかというと、鋼のクサビを薪に当ててハンマーでたたくというやり方をとっている。
斧で薪を叩き割るやり方は、木を選ぶし、案外はかどらない。
鋼のクサビをハンマーでたたくやり方は、座りながら作業できる点がよいし、気軽に山に持ち込んで、現場で薪割りができるのもよい。
ところで、問題は薪を割る道具よりも、むしろ薪そのもの、木材なのである。
薪割りの木
薪に適した木、適さない木というのだが、いまどきの荒れ放題の山の現状を考えれば、つかえる木はなんだってつかう、というスタンスのほうがよいとおもう。
針葉樹の場合、木材の繊維が縦についているので、クサビを打ち込むとすぐにパカッと割れてくれる。
ただし、軽くて燃えきるのも早い。
広葉樹は種類にもよるが、繊維が緻密で、なかなか割れてくれないことがある。
まして節がついていたりするといよいよ固く、労力ばかりかかって非効率この上ない。
こういう木材の場合は、縦に割るのではなく、電動のこぎりで横に輪切りにしてしまうほうがラクなこともある。
薪を割るという点に関しては、針葉樹のほうが圧倒的にはかどる。
しかし繊維の緻密な広葉樹も苦労はするが、そのぶん長く燃えてくれるし、節がなければちゃんと割れてくれる。
ああ、それから、もっとも重要なのは、薪割りをすませたら、ともかく一年以上よく乾かすことである。
水分の残った生木は、燃やすと不完全燃焼を起こして大量の煤を出す。
燃焼効率がわるいだけでなく、煤が煙突にこびりついて、煙突内部で燃える危険性もあるので、注意してほしい。
余談
最初から余談ばかりしていたが、ここでも余談である。
細かい木切れは、「柴」という。
桃太郎の冒頭で、「おじいさんは山へシバカリに、おばあさんは川へ洗濯に行きました」とある。
あのシバカリは、「芝刈り」ではない。
「柴刈り」なのである。
むかしは風呂に入るだけでなく、日々の煮炊きにも木が必要だった。
大きな薪も必要ではあるのだが、最初の炊きつけに大事なのはむしろ柴なのである。
ライターやマッチがない時代にどうやって火を起こしていたかというと、まず柴をかまどの中に入れて、火口(ほぐち)に火をつける。
火口とはなにかというと、おがくずであったり、タンポポの綿毛であるとか、杉の葉、落ち葉を細かく砕いたものや、麻ひもをほぐして綿状にしたものなどである。
どれもよく乾燥させたものでなければならない。
ようするに、火打石で火花を起こしたときに、着火しやすい材料を置くわけだ。
火口に火をつけたら、かまどの中の柴に火を移す。
柴が燃えてきたら薪を入れるという流れだ。
いまならガスのスイッチをひねるなり、IHヒーターのスイッチを入れるだけで熱源が得られるが、むかしは火をつかうためにいちいちタイヘンな手間をかけていたのである。
なにが言いたいのかというと、薪でうまく火をつけるためには、薪ももちろん大事だが、柴が重要だということだ。
いまどき新聞紙とライターでもあれば火口のかわりになるが、柴のかわりになるものはなかなかない。
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